
これは
国生み・神生みのイザナギ・イザナミに敬意を表して建てたと言われている三峯神社(埼玉県秩父市)にあるヤマトタケルの像
こんな堂々としているヤマトタケルだが、
その人生は
・サイコパス
・愛されたかった
・悲劇
の3つで語られる。
音声で聞きたい方はこちらを↓
また、ヤマトタケルは
西征
大和(現・奈良市)
熊曾(九州南部)
出雲(現・島根県)
東征
大和(現・奈良市)
伊勢時宮(現・三重県伊勢市)
尾張(現・愛知)
焼津(現・静岡県焼津市)
走水海(現・浦賀水道)
新治・筑波(現・茨城)
足柄峠(現・静岡・神奈川の境)
酒折宮(現・山梨)
熱田(現・愛知)
伊吹山(現・滋賀)
能煩野(三重)
というルートを辿っている(古事記)。

ヤマトタケルのストーリーには
どんなメッセージが込められているのだろうか?
1、サイコパス
どこからこの小見出しがついたのかというと、父である第12代景行天皇からヤマトタケルが言われたことを実際に行ったことからだ。
※この場面では、実際にはオウスという名前だが、分かりやすくするために「ヤマトタケル」と表記している。
ヤマトタケルの兄が朝夕の食事に来ない日が続いたある日のこと。
父・景行天皇はヤマトタケルにこう言った。
「兄をねぎ教え諭せ。」
これを聞いたヤマトタケルは
トイレで兄が出てきたところを掴み潰し、
手足をもぎ取り袋に詰めて投げ捨てた。
(おそろしや・・・まさにサイコパス)
そのことを知った父・景行天皇は
この子はいずれ自分の命も狙ってくるのではないか・・・と考えるようになる。
2、愛されたかった
父・景行天皇はヤマトタケルに
大和朝廷に服従しないものたちを討伐するよう命じます。
まずは、西征
大和(現・奈良市)
熊曾(現・九州南部)
出雲(現・島根県)
その後東方十二道(これが東征)
奈良から茨城に行き三重に。
父の命令に忠実だったヤマトタケル。
しかし、平定して戻って来ると休む間もなく次の討伐の命令が下る。
増援ももらえず。
そんな状況でもヤマトタケルは戦い続けるのだ。
なぜ、ヤマトタケルは戦い続けたのだろうか?
また、この平定の際、キーになる人物が登場する。
それは倭姫命(ヤマトヒメ、ヤマトタケルのオバ)。
この倭姫命は天照大御神を祀るため、伊勢神宮を創建したと言われている。
実は、ヤマトタケルは草薙剣をこの倭姫命から授かる。
この草薙剣は
スサノオがヤマタノオロチを倒したあとに手に入れたものであり、
その後アマテラスに献上。
天孫降臨の際に孫のニニギノミコトに持たせたもの。
それがヤマトタケルの手に渡る。三種の神器の1つ。
現在、熱田神宮に祀られている。


3、悲劇
東国平定をしたヤマトタケルは、尾張の地で出会った宮簀媛命(ミヤズヒメ)と結婚する。

その後、伊吹山にいる神を倒しに行く。
その際、草薙剣を置いて行ってしまう。
これにはいろいろな捉え方ができる。
・うっかり忘れた。
・宮簀媛に「今までの平定は神様の力ですね」と言われ、自分の力を試したくなった。
・1人にする宮簀媛を守るために、置いて行った。
・。・。・。
話を戻して・・・
ヤマトタケルは
山で出会った猪がこの山の神だったことに気づかず、「あること」をしてしまう。
それがきっかけとなり、山の天候が急に変わり、
大きな雹(ひょう)が降ってきた。
それに当たったヤマトタケルは大怪我を負う。
なんとか生きて大和に帰ろうとしたが、能褒野で力尽きてしまう。
その際、后(きさき)や子どもが能煩野に行き、御陵(お墓)を作り、丁重な礼葬をして、泣きながら4首の歌を詠まれた。
この4首の歌のことを「誄歌(死者生前の功徳を称える歌)」と呼び、
明治天皇の御大葬(おおみはぶり)のときに再興された。昭和天皇の御大葬でも「誄歌」を奏したように、現在も天皇が亡くなられたときのみに奏される特別な歌。
これだけ有名なヤマトタケルですが
天皇になったわけではありません。
にもかかわらず、「白鳥御陵」というお墓になっています。

冬至の前に余計なものを削ぎ落とす
ヤマトタケルからのメッセージ
12月20日(土)21時から22時(最大22時15分)
◆内 容
ヤマトタケルのストーリーを知る
ヤマトタケルからの3つのメッセージを受け取る
あなたの人生に活かす
神様からあなたへメッセージ(オラクルカード)
ヤマトタケル関連神社紹介(実際に僕が行ったところ)
質問(なんでもどうぞ)
◆参加費
5,500円
お申し込みはこちらからお願いします。
惟神霊幸倍坐世
彌榮

コメント